「日産」タグアーカイブ

日産

日産自動車公式ホームページより引用

 

 

 

 

 

 

日産自動車株式会社

https://www.nissan.co.jp

TOP

子供の頃の憧れの車

子供の頃の憧れの車

私の子供の頃の憧れの車は、一番現実的な夢叶う範囲(父親が実際所有できる範囲)の車に限っていうと、ホンダZ(前期型)でしたね。

「ゼット、ゼット、ゼット」と流れるコマーシャルソングを小学生だった私は、学校の帰り道でよく口ずさんでいましたね。

でも、子供の頃の憧れっていつまでも覚えているものですね。

また、非現実的なところでいえばウルトラ警備隊のポインターやスパイキャッチャーJ3のコルベット、もう少し現実に近づけば、ハコスカ2000GT、特に子供だったのでRは意識していませんでしたが、もちろんGT-Rいいですね。

ハコスカGTは、当時は現実に近いほうでしたが、現在は逆に遠くなりましたね。

GT-Rはハコスカでは意識しませんでしたが、私がもう少し大きくなってからケンメリGT-Rの新聞広告だった思いますが、それを見た時に受けた衝撃は今も覚えています。

GTーRは、他のスカイラインと違う特別な車と言うことを。

憧れの車は、その他3代目コロナ2ドアハードトップ(およびトヨタ1600GT)ですかね。

ホンダZは、平成になってから同名の軽自動車が発売されましたが、その平成11年発売のホンダZは2代目で、憧れのZは、昭和45年発売の初代でそれも前期型のGTですね。

そのホンダZですが、2年後にマイナーチェンジを受けた後期型は、Bピラーのないサッシュレスのハードトップタイプとなりました。

ハードトップ車には憧れていたので、ホンダZのハードトップ化も歓迎したいところでしたが、Cピラーのかたちが若干変わって、サイドか見たときに前期型と比べ今ひとつ気に入りませんでした。

簡単に言うとカッコ悪くなったと言うことです。

その上、当時の特撮番組に「ジャンボーグA(エース)」という番組があって、この番組はセスナ機がウルトラマンのような巨大ヒーロー(ロボットという設定)に変化し、宇宙から来た怪獣と戦うという番組ですが、この番組の後編に仲間入りしたのが巨大ヒーローに変化する車「ジャンボーグ9(ナイン)」、そのジャンボーグナインに変化するのがハードトップタイプとなった後期型のホンダZでした。

さらにそのZは、ボデーカラーがボディー中央からシルバーとレッドに分かれているツートンカラー(ジャンボーグ9の色)で、ちょっと初期型のカタログに載っていたホンダZの大人のイメージでは消え、子供が言うのもおかしいですが、子供っぽくなて残念だったと同時にZ熱は冷めてしまいました。

ホンダZの他にもう一台、身近な車で、ただこれは憧れということではないのですが、その当時の父の車は2代目サニー1200のデラックスだったか、スタンダードだったか、下位のグレードだったのですが、2代目サニーの上位グレードには、スピードメータの左隣は、確かGXにはタコメーター、GLにはアナグ時計が付いていたと思ったのですが、父のサニーにはその枠に、サニーのロゴが入ったカバーで塞いでありました。

そこがどうしても気に入らず、目覚まし時計を置いてみたり小物を置いてみたりしましたが、どうやってもカッコ良くはなりませんでしたね。

上級グレードを見る度、本当に羨ましくなりました。

あと、上述のようにハードトップ車への憧れですね、(ホンダZ後期型ハードトップタイプは除く)セドリック4ドアハードトップとウルトラセブンのポインターは憧れましたね。

3代目セドリックの4ドアハードトップは日本車で初の4ドアハードトップでしたから、乗ってみたかったですね。

この当時のセドリック/グロリアやクラウンにはセダン、2ドアハードトップ、ワゴンにバンまでボディタイプが揃っていました。

そこに4ドアハードトップの追加ですからね、ボディタイプだけで5タイプ、今ではとても考えられないですね。

ちなみにこのセドリックに4ドアハードトップが追加られた当時のライバルクラウンは、「クラウン史上唯一にして最大の失敗作」と言われた4代目の通称クジラクラウンでした。

私もこの当時、この4代目のテレビコマーシャルや実車をみて「なんだこの車カッコ悪い」と良く思っていましたが、今見るとなかなか個性的で魅力的な車に思えますね。

その後、5代目クラウンにも4ドアハードトップが追加されクラウンもボディタイプが5タイプとなりました。

ただ、セドリック/グロリアのセンターピラーのないピラーレスハードトップに対しクラウンはセンターピラーを残したピラードハードトップ、この4ドアハードトップは10代目(1999年9月の販売終了)まで続きました。

セドリック/グロリアの4ドアハードトップは2004年、後継車のフーガにバトンを渡すまで続きましたが、ピラーレスは1991年まで販売された7代目までで、8代目からはクラウン同様センターピラーを残したタイプとなっています。

また、2ドアハードトップは、クラウンが1983年販売終了の6代目まで、セドリック/グロリアは一足先の1979年、4代目の終売まででした。

※セドリック/グロリアの「代目」はセドリックの「代目」となり、グロリアは1971年のセドリックの姉妹車となる際にセドリックは3代目、グロリアは4代目でしたので、セドリックの「代目」プラス1代がグロリアの代目となります。

次にウルトラセブンに登場するウルトラ警備隊のポインターは、1957年式のクライスラーインペリアルがベースということでしたが、左ハンドルのアメ車ということもあり、ベース車は何かというより、子供だった私は、このポインターはウルトラセブン用に作られた車なのでは、と思っていましたね。

ウルトラシリーズは、現在まだ途切れながらも続いていますが、このポインターを超えるほどの仕上がり車は出ていないと思いますし、特撮テレビドラマ的にもウルトラセブンは別格ですかね。

どんぶらこDESIGNホームページより引用

次もアメ車ですが、スパイキャッチャーJ3、私が見ていたのは再放送だと思いますが、川津祐介さん主演のアクションドラマです。

このドラマに出てくる車は、コルベットスティングレーを改造した特装車という設定で、007のボンドカーのような車ですね。

空も飛ぶし水の上も走るカッコ良かったですね、ウルトラセブンのポインターもそうですが、今の時代でも十分に通用する車ですね。

また、現実的な憧れの車では、510ブルーバードSSSも良かったですが、やはりハコスカですね。

当時、近所にシルバーの4ドアにリアウイングを付けた2000GTに乗っている人がいて、見かける度に見えなくなるまで目で追っていましたね。

最後はトヨタ1600GTのベース車にもなっている3代目コロナ2ドアハードトップですね、小学低学年の頃だったと思いますが、当時良く乗せてもらった車が叔父が乗っていた510ブルーバードの4ドアセダン(グレードは忘れましたがSSSではなくスタンダードタイプ)で、他にも乗せてもらう車と言えばサニー、カローラといった車でした。

トヨタ博物館公式ホームページより引用

ところがある時たまたまコロナ2ドアハードトップの後部座席に乗る機会があり、そこで初めてBピラーのないハードトップに乗ることができ、ピラーレスの解放感に感動しました。

今でも覚えていますが、真っ白ではない白っぽい車体で車内に扇風機が付いていましたね。

当時はクーラーのついている車も少なかったですね、なので雨の日は窓がよく曇って見にくかったようですね。

その時は知らなかったのですが、トヨタ2000GTの弟分に3代目コロナ2ドアハードトップをベースにしたトヨタ1600GT(見た目はコロナそのものですね)が存在することを。

といことで、その時大人になったら絶対ハードトップに乗りたいと思いましたね。

愛車歴にも書いていますが一番最初の愛車の日産ガゼールは、サッシュレスでピラーレスの2ドアハードトップでした。

ただ、後席の窓部分が狭いので、子供の頃乗った3代目コロナハードトップに比べ開放感はありませんが、一応、夢はかなったということでしょね。

TOP

わたしの愛車歴

cわたしの愛車歴

【日産ガゼール1800TE-Ⅱ】

私の愛車歴は日産ガゼールから始まりました。1980年(昭和55年)2月、私にとって初めての愛車、茶メタの日産ガゼール1800TE-Ⅱが納車されました。

昭和55年購入当時のカタログ撮影

 

このガゼールは3代目シルビア の姉妹車として発売され、ガゼールとしては初代になり、取り扱い店はシルビアがサニーなどの大衆車を主に扱うサニー店だったのに対して、ガゼールはセドリック、ローレルなど高級車を主に扱うモーター店の販売でした。

日産には20年ほど前の販売店再編以前は、上記の2店の他にスカイラインなど扱うプリンス店、ブルーバードなどを扱う日産店、パルサーなどを扱うチェリー店の5つの販売チャンネルが存在しました。

ガゼールはモーター店の扱いというこもありシルビアよりメッキ部分を多くして高級感のある仕上がりになっていました。

価格もシルビアよりも5,000~10,000円高い設定だったと思います。

私がなぜ、ガゼールを選んだかというと、同年代以上の方ならすぐにピンとくると思いますが、やはり西部警察の影響ですね。

この西部警察に出て来るガゼールは、石原裕次郎扮する木暮課長の覆面車なのですが、ガゼールの屋根を切り取ったオープン仕様で白のボディーに市販車にもオプション設定できるボンネット用のデカール(市販車用に若干手が加えられているもの)が貼られ派手さが増していました。

 

画像をクリックするとWikipedia西部警察へ移動します。

当時は、国産の市販車にフルオープンカーが存在しない空白時期で、日本で買えるオープンカーは外国車か昭和40年代のダットサンフェアレディやホンダS500、S600、S800などの中古車、または専門業者に依頼してオープンカーに改造、もちろん車検が通るよう車体の補強やソフトトップあるいはハードトップが取り付けられるので、それなりの改造費用が必要ですし、さらに手掛ける業者も限られるため一般的ではありませんでした。

そういうことでオープンカーが簡単に買えない時代だっため特に憧れましたね。

新車で購入した時は、ガゼールの初期型のイメージカラー、茶色のメタリックでしたが、どうしても西部警察のガゼールのようにしたくて、さすがに屋根は取れませんが、ボディは白、バンパーの位置から下を黒に塗り替えてボンネットにデカールを貼りました。

ただし、デカールは業者の発注ミスで別デザイン(ハッチバック用)のものになってしまいました。

その後、2年程度で今度は同じ西部警察のスカイラインRSをまねて、赤と黒のツートンに塗り替え、同じくRSのようにリアスポイラー、今はほとんど見かけないフェンダースポイラーを取り付けアルミホイールもゴールドにのメッシュのものに交換、フェンダーミラーを外しドアミラーを取り付けフェンダーの穴はパテ埋めしました。

しかし、車検時はフェンダーミラーを元の位置に取り付けないと車検は通せませんでしたね。

ガゼールの購入から5年目くらいの時から次の車の選定と貯金を開始しました。

当時は新車でも2年車検だったので4年、6年での買い替えが多く、ほとんどの車が4年に1度フルモデルチェンジを実施していました。

そのため私が買い替えの候補に選んだ車は、日産車ではフルモデルチェンジが予想されたレパード、少しだけ4ドアの車も考えたので、ブルーバードマキシマ、ローレルなども検討。

日産以外では、こちらもフルモデルチェンジが予定されたトヨタソアラとセリカダブルX(モデルチェンジ後はスープラに改名)。

第一候補は、やはりソアラでしたが、いずれにしても新型見てからですね。

フルモデルチェンジのスケジュールは1986年1月新型ソアラ発売、2月スープラ、そして同じく2月下旬レパードのモデルチェンジがあることが情報誌など伝えられていました。

その時点では、実質ソアラとレパードに絞っていて、1月に新型ソアラを見て初代のイメージを残しながら、よりスタイリッシュなデザインで、インテリアもさらに豪華さを増し、ネームバリューも含め正直ソアラがいいかなと思っていました。

ただ、あくまで2代目レパードのスタイリングを見たら決めようと、発表を待ちました。

今のようにネットで何でも情報がすぐ入ってくる時代ではなかったので、発売日が1986年2月、はっきりは覚えていませんが、23日頃だったと思います。

発表直後に出た自動車情報誌「CAR AND DRIVER 」(当時は毎月2回10日と26日発売)の2月26日発売の3月26日号をすぐ購入して、その時初めて2代目F31型レパードのスタイルを見ました。

先代の面影は全くなく、新型ソアラより初代ソアラに近いスタイリングに思え、新型ソアラに比べて新鮮さには欠けるデザインですが、それが逆に初代ソアラに憧れていた私は魅力的で一目で、この車だとばかりに新型レパードの購入を決断し、直ぐに日産店へ連絡し営業マンが自宅に来ることになりました。

値引きや下取り交渉に1ヶ月程度かかりましたが、3月に契約して当時は人気がなかったので1ヶ月弱で納車。

2代目レパードが私の2代目のマイカーとなりました。

ガゼール納車から6年後の2ヶ月後の1986年4月でした。

1986年、レパード納車前日、すなわちガゼール下取り前日、車検切れで動かせないので、実家に保管していたガゼールを自分用の思い出のために急きょ撮影したので、画質もですが撮影場所の状態も見苦しくなっています。

まさか三十数年後の「わたしの愛車歴」と共に公開するとは思っていなかったもので。

【日産レパードXS-Ⅱ】

レパードは、初回車検3年目、ドアミラー(電動格納式)と現在の車の仕様に近づいていますが、エアバックはまだなく、タイヤの扁平率も2ドアクーペとういうスポーティーな車にしては60%でした。

それでも60%が解禁されてやっと、というところでしたか。

ガゼールの時は、70%まででしたね。

画像をクリックするとWikipediaあぶない刑事へ移動します。


日産レパードF31型(通称あぶ刑事レパード)ですが、あぶない刑事で使用され人気が出ましたが、当時は人気のテレビドラマで使用されていてもトヨタのソアラには勝てませんでしたね。

あぶない刑事の放送開始は1986年10月ですが、私のレパードの納車は4月なので、この車はテレビドラマの影響で選んだのではありませんので念のために。

ただ、私のレパードはイメージカラーの紺とシルバーのツートンでしたが、ドラマで使用されたゴールドとシルバーのツートンを見ると、こっちの色のほうが良かったなあ、と後悔していましたね。

また、ドラマで使用されたレパードは初期型の最上級グレードのアルティマでしたが、私の愛車はV6 2000ccターボ付きのXS-Ⅱというワンランク下のグレードでした。

それでも前期型のサイズは、アルティマと全く同じで、相当詳しくなければ5ナンバーを見ない限り区別はつきませんね。

また、購入当初は走っている台数も少ないので良く振り向かれましたね。

それとターボ車はアクセルを踏み込むと一旦リアが沈み、それから走り出すので怖い思いをしたこともありましたが、これが高級車だという感じもしましたね。

当時はまだ自動車税が細かく分けられておらず1001cc~1500ccまで34,500円、2000ccまで39,500円とここまでは、現在と同じなのですが、今は2001cc~も500cc毎に細かく区分されたいますが、当時は2000cc超はいきなり81,500円に跳ね上がりました。

これは3000ccまでで、3001cc~6000ccまでが88,500円でしたね。

さらに、当時はエンジンが2000cc以下でもボディーサイズが5ナンバー枠を超えると、これも81,500円となり、例えばエンジンが1200ccでも車幅が1720mmという車の年間の自動車税は、3000ccですが5ナンバーサイズのレパードアルティマ(前期)と同額ということになります。

 

後期型のアルティマは前後のバンパーが大型化され全長のみ5ナンバー車枠をオーバーしました。

と、いう訳で3000㏄のアルティマは自動車税が年間81,500円で、2000ccのXS-Ⅱの倍以上の税額で、今は、3ナンバーって特別な車ではないのですが、この当時はまだまだ特別でしたね。

それに車両価格の差額も80万円程度あったので、無理せず2000ccにしました。私にとっては最後のFR車でもあり本当にいい車でしたね、また特別な思いもあり、もう一度乗りたい(所有したい)車ですね。

でも、今、程度のいいものは新車時より高い価格で売られているので、私も乗り続けていれば良かったです。

【日産マキシマ タイプⅡ】

そして、3台目の愛車はレパード購入から9年後の1995年(平成7年)子供も生まれ2ドアでは不便で急きょレパードを下取りに5年落ちの日産マキシマを購入しました。

平成2年当時のカタログの写しを撮影

私にとっては、初めての中古自動車でしたが、憧れのV6 3000cc 3ナンバーでした。

でも、やはり当時のFFですね、高級車を運転している感覚はなく、普通のファミリー4ドアセダンっていう感じですかね、時折レパードが恋しくなりました。

 

【ホンダオデッセイMサウンドスピリット】

平成13年購入当時のカタログ撮影

それから6年後の2001年、子供も二人になっていたので、ミニバンにしようと思い、いろいろ検討、日産党だった私はもちろん日産を始めトヨタ数店、ホンダと回ってみましたが、当時のセレナなど比較すると、どうしても2代目オデッセイに惹かれ20年以上続いた日産党を卒業し、ホンダオデッセイを愛車に迎えました。

私にとって初めてのミニバンでしたが、2代目オデッセイは既にインパネシフトを採用していて、乗用車感覚で運転することができました。

これまでのワンボックスカーは、運転席や助手席の乗り降りが結構大変というイメージがありましたが、このオデッセイは普通に乗り降りができほぼ乗用車感覚の上、セダンより若干運転位置が高いので、妻からは運転しやすいと高評価でした。

【ステップワゴンスパーダZ】

2010年1月オデッセイも丸9年で10万キロも目前となり少しでも買取価格のあるうちにと思い買い替えを決めました。

またオデッセイという考えはありましたが、当時のオデッセイは4代目で背が低く、スライドドアも採用されていなかったため迷っていました。

その時ちょうどステップワゴンの4代目が発売され、初代や2代目ように角ばったボディへ戻り、スパーダのマスクも気に入ったので2010年1月ステップワゴンスパーダに買い替えました。

ステップワゴンは9年前のオデッセイに比較すれば、装備もよく特に不満はなかったのですが、やはり2000cc、高速道路の上り坂でのエンジン音がちょっと気になったのと、装備はいいですが、オデッセイに比べワンランク車格が落ちることもあり、ドアを閉める時の音など全体的に高級感は欠けますね。

そこへ2013年11月5代目オデッセイが登場しました。

【ホンダオデッセイアブソルートEX】初期型

そこで私の愛車歴では最短になりますが、4年お世話なったステップワゴンを買取り店へ売却。

そしてスライドドアでさらに背も高くなり発売された5代目オデッセイが2014年1月、我が家の愛車になりました。

Honda公式ホームページより引用

このオデッセイはもちろん初期型なのですが、スタイル、装備に不満はありませんが、後席には乗る人にはかなり不評ですね、ただ運転する私はとてもミニバンとは思えないコーナーリングの走り、スムーズな加速にはとても満足しています。

また、ステップワゴンでは気になっていた高速道路の上り坂のエンジン音もオデッセイにはなく、スイスイ気持ちよく加速します。

次はオデッセイハイブリッドを考えているのですが、今のところハイブリッドにはパドルシフト付いていないのですよね、ステップワゴンと合わせて約9年パドルシフト車に乗っているので、装備されていないとちょっと不便というか怖い感じがしますね。

まあ、慣れれば気にならないのでしょうが。

【ホンダオデッセイアブソルートEX】最新型

私の7代目(セカンドカーのビートは含まず)の愛車が納車されました。

Honda公式ホームページより引用

 

先日まで、5代目のオデッセイの初期型アブソールートEXを所有していましたが、5年目を迎えるため2回目の車検と走行距離も5万キロを超えタイヤ交換も必要で、それもサマータイヤ、スタットレスタイヤ合わせて8本交換。

それにバッテリーも2年前からアイドリングストップが出来ない状態なので交換が必要となり、さらに残クレだっため、最終払があり合計でざっと160万円くらい必要となる計算でした。

5年経過する車に160万かけて乗り続けるか、売却して新しい車に乗り替えるか考えました。

設定残価が120万円弱でしたが、ネットで調べた買取相場が150万円程度だったで、買取店3社に見積を依頼、平日は妻が使用し休日に私が乗るパターンで、目立つ傷はなく、きれいに使っていたのと半年の毎にディラーで点検とオイル交換は欠かさず実施していて、走行距離は5万キロは超えていましたが相場の150万円を下回ることはないと予想していました。

ところが以外にもA社179万円、B社195万円、C社198万円といううれしい見積が出てきました。

当然、売却することに決めましたが、最高額のC社はすぐ売却が条件だったので、売却期日まで1ヶ月以上の時間のあったことと対応の早さでB社に売却を決めました。

設定残存価格との差額が75万円ですね、そのままディラーに返却していたら5年で5万キロ以上を走行しているので、逆に追加料金を支払うことになるところでした。

そこで新車に乗り替えることにしました。

今はホンダ党なので、フルモデルチェンジが近い(予想)モデル末期の同じオデッセイか、ニューモデルのインサイトか迷いましたが、結局、同じグレードで色違いのオデッセイアブソールートEXにしました。

初期型の購入時になかったハイブリッド車も選べましたが、やはり価格でガソリン車を選びました。

 

【ホンダビート】

「わたしの愛車歴」の番外ですが、2006年(平成18年)平成3年式のホンダビートをセカンドカーとして当然中古ですが購入しました。

憧れのオープンカーを40万で購入したのですが、修理代等入れると結局100万くらいかかりましたかね、それでも8年間乗りまだまだ乗り続けたかったのですが、かなり故障箇所も多くなったので前期型5代目オデッセイ購入時に合わせて、娘も運転できる車ということで軽ワゴン車に買い替えました。

【ホンダCBX400F】

こちらも番外ですが、1987年(昭和62年)昭和57年式ホンダCBX400Fを購入、車もいいけどバイクもいいもんですね。

8年ほどで手放しましたが、今、こちらもかなりの高値で売買されているようですね。

<img src="images/image-title.jpg" width="600" height="400" alt="画像の代替テキスト">
画像をクリックするとWikipediaホンダ・CBX400Fに移動します。

でも人間も歳を取ってくると昔を懐かしむものなんですね、最近ふと思い振り返ってみました。

 

買取一括査定サイト紹介(まずはすぐ見積依頼)

 

自分の車が思いがけなく高く売れることもあるので、残クレ車限らず下取りする前に買取店数社に見積を依頼することは、絶対ですね。

特に人気車種や高年式は数社競合させるといいといいと思います。

今回は残存価格より約75万円、相場価格より約40万円高かったのも、走行距離は多かったものの人気車種で上級グレード、人気色で状態ももよかったので、マイナス要因が走行距離のみだったからだとは思います。

人気のない車種や低年式の車は競合させても難しいこともありますが、ただ新車時に人気がなくても中古市場で人気が出ることもありますから、レパードように。

因みに、私は買取店への売却は今回で3度目でしたが、前回は4年落ち4万キロ走行の平成22年式ステップワゴンスパーダZが173万円でした。

その前が9年落ちの平成13年式オデッセイMサウンドスピリットですが、やはり9年も経過した車はほとんど価値がないようで、この時も3社ほど見積を取りましたが、大差はなく9万円売却しました。

タイヤ4本6万で半年前に履き替えたばかりだったのですが、関係ないようでした。

査定して金額が出るまで結構時間がかかるので、出張見積なら各社同時に査定してもらうのも一つのの方法ですね。

詳しくは当サイト内、「残クレ車を買取店へ売却」をご覧ください。

 

まずは、下記サイトへアクセスして見積を依頼してみてください。

法人ETCカードのお申し込みは

TOP